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京都ボランティア協会では様々な事業を通じて、新しいボランティア文化の創造を目指しています。

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はじめませんか?ボランティア

「ボランティアて何?」 「どんなことするのかな?」 「特別な人がするものなのかな?」など、 ボランティア活動に興味や関心をもっていても、なかなか活動をしてみるというとこまでたどり着けない方が多いのではないでしょうか?
これから活動を始めようと思う人たちへ、ボランティア活動経験者からのメッセージです。ボランティア活動への一歩にしていただければと思います。
 ボランティア体験談 『さまざまな地下水』

<60代 社会人男性>
*活動内容  ※活動内容 ハンディのある人の家庭教師、文章指南など


 多忙を極めた職場から、最近、定年で解放されました。肩書きも役割もなくなって、自分がただの男であることを確かめるにはよい機会だと思いました。このような利己的な思いが、ボランティアに関わろうとした動機でした。博愛でも慈愛でもありません。いかなることが奉仕でボランティアか、何もわからないまま、自分のために利用者さんと関わろうとしました。不純な動機でした。
 さて実際にボランティアに携わった4ヶ月間で、自分が利用者さんに対していつも積極的に関わろうとしたわけではないことに気がつきました。自分のことだけを先に考えて参入した活動ですが、そのせいでしょうか、お約束の時間を日延べしたり、活動そのものをやめてしまいたいと、間もなく思うようになりました。徒労感に包まれました。自分を確認するというあやしげな動機も、それ自体が、熱い動機でも持続する志でもないことがわかってきました。たとえ動機が不純でもそれを持ちこたえられれば、利用者にも自分にも何らかの意義があるでしょう。しかし、私は腰砕けになりました。誰からもそれを咎められないだけに、自分はなぜボランティア活動をしているのか、その問いが鮮明に岩のように残りました。
 無償で無名であることは決して人格高潔であることを意味しないと思います。しかし、利用者さんに関わろうとして、自分が無償の「地下水」になりきれないことに気づかされました。友人から「偉いね」と言われたくてできるようなことでもなく、利用者から言葉のご褒美を期待する「他律」的な活動でもないでしょう。人を支える、それができるか。このシンプルな言葉が、自分の中に重く居座った問いかけのなかみです。 少々のことでは崩れない指針が自分の中にあれば、傍をあっさりと過ぎ去っていく博愛を超えて、ボランティアという行為になるかもしれません。その動機が、私の動機のようにたとえ利己的であろうと、容易に干上がることがなければ、利用者と出会う可能性があるかもしれません。つねに地下を流れられるなら、赤でも青でも黄色でも濁っていてもかまわないだろうと思います。 いかなる動機でもかまわないけれど地下水でありうるか。このあたりが、ボランティア初心者としての私が、戸惑いながらゆらゆらと立っている地点です。 この意味で、多様な地下水は、コーディネータのふところの広さによって汲み上げられるのではないかと思います。そのような深く広いまなざしによって、私も、さまざまな地下水のひとつになれるかもしれません。
 ボランティア体験談 『『私とボランティア活動』

<20代 社会人女性>
*活動内容 現在は小学生児童の遊び相手。これまでにもハンディのある児童に継続的に関わる遊び相手のほか、単発の保育や「きょうボラふれあい祭」のボランティア活動に参加


 ボランティアをするようになって早8年。 今や、ボランティアは、私にとって趣味のようなものです。そして、私自身を大きく成長させてくれました。多くの人との出会いが、今の私を形作っています。どんなボランティアでもそこには誰かしら人がいます。人と人をつなぐのは人。多くの人と出会うことによって、多くのことやものが得られます。もちろん、悩むことやトラブルも起きましたが、お金で買えない価値がある。プライスレス。それこそがボランティアであると私は考えています。「面白そうだな」この思い一つで気軽に入っていける世界がボランティアの世界です。そこから新しい世界がどんどん開けていきます。そして、その世界は自分自身を豊かにしてくれ、自分自身に返ってくる。このことは、私や私の周囲が身をもって実感していることです。これからもいろいろな人と出会うべく、無理せず気長にボランティアをやっていこうと思っています。
 ボランティア体験談 『“いい人”ではなく、ありのままで繋がること』

<20代男子学生(2011年4月から社会人) >
*活動内容 単発の観光ツアーつきそい、話し相手ほか。


「シューカツのためでしょ?」ボランティアを始めた理由をそう聞かれたとしたら、否定は出来ません。面接で言える「ネタ」を探して前のめりの私に、京都ボランティア協会の担当者の方は「やる気があっていいね」と褒めてくれました。しかし、胸の内にはいつもそんな本音を隠し持っていました。  
 11月30日。その日私は、障害者の方々の京都ツアーに同行するボランティアに参加しました。いつものようにぎこちない笑顔を浮かべ続けながら、障害者男性の乗る車いすを押していました。しかし、いつもと様子が違ったのは、担当した男性の口調が荒いことでした。失礼に投げかけられる男性の言葉に、私の笑顔はぎこちなさを増していきました。夕方の東福寺、半日かけて溜めていたものをひっくり返すかのように、私は男性に失礼な言葉を投げ返してしまいました。
  「やはりボランティアは自分に馴染まない」そんな風に考えながらの帰宅中、平行して全く逆の考えが浮かんで来ていました。それは「ケンカもしていけない間柄ってなんだろう」という考えでした。人と人がいて、何か気に食わないことを言われて、それにずっと「ぎこちない笑顔」で答え続けなければならない間柄って?そう考えるうちに、もうちょっとボランティア続けてみようという考えに至りました。  
 それからというもの、今までに増して色々なボランティアに参加してみるようになりました。その一つ、共同作業所の「嘉楽小路つくし」。人見知りのため緊張する私に対して、作業所の方々の受け入れ方はあまりにも自然でした。変な自己紹介もなく、なんの下心もなくただただ飛び交う言葉を時折受け取りながら、私は妙な力みが緩んでいくのを感じていました。  
 作業所の方と編み物をした日、ただただ糸を進めながら、そしてただただ心地よく流れる会話に身をゆだねながら、人と人が「自然」に一緒にいることの心地よさを感じていました。
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